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こころ / 2015 |
最終章 札幌 ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから ザ・ブルーハーツの有名な楽曲「リンダリンダ」の一節。私はブルーハーツが、好きだった。 高校生の頃、全く学校に行きたくなかった。授業からはなにも見出せず、教師陣もなにもかも気に入らない。しかし、だからといって気に入らない生活を抜け出す方法など、高校生の私は思いもつかず、ただ漠然と何かを求めて、ただ一日がおわった。学校という場を変えてゆくという方向にも、もちろん思考回路は開かれてはいなかった。 学校をやめることも、生活を改善することもできず、一体どうしたらいいのか。手も足もでない。未来のビジョンなど全く見えなかった。ビジョンを見つけるために何をしたらいいのかすらも分からなかった。朝、学校に足が向くはずもなく、目的も行き場もなく、ただ川沿いの堤防をフラフラと自転車で走った。そんな漠然とした生活の中、いつもポケットにウォークマンがあった。アイチューンなどない時代。カセットテープにお気に入りの曲を入れて聞いていた。イヤホンからはいつも大音量でブルーハーツが流れた。全てをシャットアウトして、イヤホンで耳を塞ぐ。周りの音など聞こえない。無気力でぼんやりした焦りや、怒りがある毎日の中で、彼らの音楽は優しかった。 4年かけて劣等生として高校を卒業し、19歳で旭川の実家を出た。生活の場は札幌に変わった。世界に打ちのめされた時、人とうまくやれない時、だれよりも一人ぼっちのような気持ちになってしまう帰り道、苦しく辛い現実のせかいから耳を塞いだイヤホンからは、やはりブルーハーツが流れた。 20代の後半の頃、私はカメラを買った。漫画みたいな劇的な展開や、きっかけがあったわけではなく、グラフィックデザインの素材集めのためにちょっと買ってみようかな、程度の気持ちだったように思う。しかし思いがけず写真を撮るのは楽しかった。思うままに撮り、2008年、はじめて個展を開いた。その頃から、写真について考えるようになった。写真とは一体なんなのだろう。私は写真でなにがしたいのだろう。そもそも、私は一体なにがしたいのだろう。 写真は私に、悩みや我慢したって溢れてしまう苦しみと一緒に、世界の美しさを教えてくれた。うまく生きられない私に、世界とのつながり方を教えてくれた。 頭の中で音楽が鳴っている。そうだ、私は、写真には映らない美しさを求めて写真を撮って生きてゆくのだ。将来のビジョンなど全く見えなかった高校時代とは違う。その決意は朝日よりも輝き、川沿いの堤防をフラフラとゆく高校生の自分をやさしく包んだ気がした。 今、ポケットには、ウォークマンの代わりにカメラが入っている。音楽が頭の中で鳴っている。耳はもう塞いでいない。
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