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第2章 石狩

 ベトナムから札幌に帰ってきてから、自分の生まれ育った土地の事を考えるようになった。北海道とはどういう土地なのか。北海道にとってアイヌ民族とはどういう存在なのだろう。この札幌はどんな歴史を持っているのだろう。そういった疑問が沢山生まれた。私は自分の生きている土地の事をなにも知らない。それを痛感した。そして同時に、私とは一体なんなのだろう、アイデンティティとはなんなのだろう。という事も考えた。そして、なんだか自分には何もないような気がして、なんてつまらない人生なんだろうと思ってしまった。

 みうらじゅん原作の「アイデン&ティティ」。主人公の中島はこう言う。「僕はロックにコンプレックスを抱いている。ディランのように旅に出る必要もない。不幸なことに、僕には不幸がないのだ」「アイデンティティのない日本で アイデンティティのない教育を受けて アイデンティティのない悩みのままで アイデンティティのない夜に狂い アイデンティティ アイデンティティ どこでも売ってそうで売ってない アイデンティティ アイデンティティ 誰もが持ってそうで 持ってないティティ」

 ああ、これは私だ。この中島の言葉を聞いた時、そう思った。特別な何かに憧れているくせに、なんて自分は普通なんだろう。

 自分にはなにもないのだろうか。そんなモヤモヤした悩みを抱えている間、私は石狩によく通った。石狩川の水が海に流れ込む河口付近。海と川の曖昧な境界。独特の空気が流れる不思議な空間。「ライサツ」とアイヌが名ずけた土地。乾いた死を意味する土地。そこから、海岸沿いを、望来(モウライ)浜まで、よく歩いた。

 毎日の生活でモヤモヤが溜まってくると、石狩へ行き、歩く。吉増剛造の大作「石狩シーツ」が生まれた場所。大野一雄が、川と鮭に捧ぐ舞踏「石狩の鼻曲がり」を舞った場所。その地場の強い土地を歩くことで、自分を慰めていただけなのかもしれないが、そうすることで、ほんの少しだけ魂が浄化されるような気がした。だがもちろん、私には何もないという悩みから解放されることはなかった。何かを表現したかった自分に突きつけられる絶望は少しづつ大きくなっていった。もう見ないふりをするわけにはいかなくなってきた現実に怯えながら、石狩を歩いた。

 ある日、この石狩という場所、ライサツ、モウライを教えてくださった方の運営するギャラリー「テンポラリースペース」に足を運んだ。このギャラリーはいつも大切なことを教えてくれる。勇気をくれる。最近の近況をオーナーに伝えた。すると「この道」という曲を教えてくれた。その歌は、幼少期の記憶を歌った曲だった。人がそれぞれ持っている幼少期の記憶。原風景を歌い上げていた。

 後日、私はまた石狩を歩いていた。「この道」を聞きながら。そして唐突に思い出した。目の前で海に流れ込んでいる石狩川のずっと上流。生まれ育った旭川を流れる石狩川の事を。

 私の魂は魚のように、時間を遡りながら石狩川をのぼっていった。そして小さな私は、母に手を引かれて橋の上をを歩いていた。

 私はその橋をいつも渡っていた。母とプラネタリウムへ行く時も、行きたくない学校に行く時も。そして生まれ育った旭川を出る時も。旭川のあの橋は、この石狩河口とつながっていたのだ。橋を渡りながら感じていた沢山のこころや、涙はこの石狩の海に流れ着いていたのだ。

 川の終点、石狩で私は忘れていた原風景を見つけた。自分には何も無いとは、もう思わなかった。

 

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