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こころ / 2015

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第1章 ベトナム

 2008年。初めての個展を開いた。その翌年の2009年。札幌での数年間の生活で好奇心が摩耗し切っていた私は、新しく何かを始めるエネルギーのような物が全く湧いてこなかった。知ってる場所、安心できる場所にしか行かず、同じ店に行き、同じ料理ばかり食べた。知らないところへ行き、異物を体に取り込むという行為をなんとなく避けてしまっていた。知らない場所を恐れてすらいたかもしれない。そんな自分に嫌気がさし、突然海外に行ってみようと思った。新しい事をして、無理矢理にでも自分の中の何かをこじ開けたかった。行き先など見当もつかなかったが、生まれて初めて海外に意識が向いたのだった。

 少数民族の写真を撮ろう。正面からしっかり。そう思い、多くの少数民族がいるベトナムに来て3週間ほどが経っていた。毎日現地の人に声をかけ、膨大な量の写真を撮った。異文化に接する事で新しい発見が沢山あり、無気力なままではいられなかった。ドキドキして刺激的な毎日だった。言葉に頼らないコミュニケーションなど、今まで特別意識してこなかった概念は、心の中の放置して全く使っていなかった部分を刺激した。しかし、肝心の写真を撮るという行為に、なぜか手応えは感じることができなかった。写真を撮らせて欲しいと声をかけ、その場では楽しく撮影するのだけれど、やはりどこか手応えがないのだった。

 ある夜。食事中のレストランで知り合った日本人の男性、フランス人の女性、私の3人で食事をしながら深夜まで話し込んだ。随分遅くなってしまったと思いながらゲストハウスに戻ってみると、正面玄関の鍵が閉まっていた。どうしても開けることができず、外で寝るしかないかと考えていた時、ゲストハウスのすぐ正面にある、つい先ほどまで話をしていたレストランの電気が消えた。すると周りは驚くほどの暗闇だった。ここはベトナムの田舎の山岳地帯である。日本のように街灯などは無い。今日は空に雲が出ているようで、月あかりも届かない。突然現れたゾッとするほどの深い暗闇。こんなにも夜の闇が恐ろしいなんて思わなかった。あたりを見回すと、遠くにひとつだけ電気がついている建物がある。暗闇から逃げるようにその建物にむかって走った。

 その建物は運良くゲストハウスだった。部屋も空いていて、値段の交渉もそこそこに部屋をとった。従業員は玄関などの電気をすべて消してから部屋に案内してくれた。そして眠そうにあくびをしながら階段を上っていく。もう寝るのだろう。もう少し遅かったら恐ろしい暗闇の中で野宿しなければならかった。宿にありつけて本当によかった。そう思いながら、部屋に入った。

 やれやれとカメラをテーブルに置き、ベットで横になる。着替えなども手元に無いので、シャワーもせずに、このままベットで寝てしまおうかと考えていると、不思議な圧迫感を感じた。なにかがおかしい。そして、その部屋には窓がない事に気がついた。窓がないことがこんなにストレスになるとは思わなかった。なんだか落ち着かず、息苦しさを感じる。しかし、部屋を変えてもらおうにも従業員はもうフロントにはいない。こんな夜中に大声で従業員を探すほど図太くはなれない。野宿よりはマシという理由で自分を納得させる事にした。

その時突然、電気が消えた。

 停電だ。この町では電気の供給が不安定で、先ほどのレストランでも度々停電が起き、途中からローソクを立ててなんだかロマンチックな楽しい食事会になっていた。そんな経緯もあり、停電にそれほど驚きはしなかった。しかし、この部屋には窓がない。外の明かりで目が慣れてくるということもなく、。目を開けても閉じても何も変わらない暗闇。時間が経つにつれて方向感覚がなくなっていき、恐ろしくなってくる。テーブルのデジタルカメラを手探りで探し、液晶を光らせて平衡感覚を求めた。今日はなんだか随分光を求める日だなと心のなかで笑った。同時にこうも思った。どうしてこんなに暗闇が恐ろしいのだろう。

 カメラのライトが消える。暗闇の中で自然と写真の事を考えた。ベトナムに来て3週間。毎日たくさんの人々の写真を撮り続けた。写真は相当の枚数になっている。しかしどれだけ撮っても心が熱くならず、手応えのようなものが感じられないのはなぜなのか。そこで一度、日本でこの旅を計画していた時の事を思い出してみる。私は、アジアの子供の笑顔には日本人の忘れた何かがあって、というような写真が好きになれなかった。その笑顔だけを切り取ることになんの意味があるのだろうと思っていた。いいところだけを切り取るその行為に。そう思い、笑顔だけ撮るなんてやめようと思っていた。そして、遠くから声もかけずに盗み撮るようなこともしたくなかった。少数民族の人々を真正面から撮りたい。そう思っていた。しかし、真正面から撮るとは一体どういう事なのだろう。私は一体何がしたいのだろう。

 暗闇の中、この3週間を振り返り考える。そして気づいてしまった。自分が結局、都合のいいものばかりを撮ろうとしていたことに。都合良く切り取り、日本に持ち帰ろうとしているだけだったことに。声をかけ、写真を撮らせてもらった人々が、よく見るとボロボロの服ばかりを着ている事や、毎日街で刺繍布などを売って歩いている子供たちが、学校など全く行っていないことなど気にもかけず、ただ声をかけてカメラを向けていただけ。光とか闇で例えるならば、結局都合のいい所、光の部分ばかりを追いかけていたのだ。偉そうなことを考えながら結局は、見たくない闇の部分から無意識に目をそらし続けてきたのだ。そんな私なんかよりも、笑顔を撮り続けている人の方がよっぽどマシだと思った。そんな自分が恥ずかしかった。

 そして、この旅の途中で目撃した、豚を解体する場面の事を思い出した。衝撃だった。日本での日常生活の中ではこんな場面を見ることは中々ないと思う。意識しておかなければ、意図的に都合よくデザインされたものしか届いてはこない所で私は育ってきた。かわいくデザインされた豚の絵から吹き出しで「おいしいよ」なんていうのが自分の豚のリアルだった。私はコンビニに売っている弁当の肉を動物の肉として意識したことはあったのだろうか。そうして考えてみると、この街には、死の匂いがした。多くの都合の悪いものが、要領よく隠されてはいない。見てはいけませんと言われるようなものがあちらこちらに見え隠れしていた。この町の人々は、私なんかよりもずっと、死や闇を近くに感じて生きているのだろう。

私は闇が恐ろしい。それはきっと目を背け続けていたからなのかもしれない。私はもっと闇に目を向けなければいけないのではないだろうか。闇を受け入れる。そして光も受け入れる。どちらかだけを都合よく切り分けるというのは、自分をおいしいよなんて言う滑稽な豚の絵のようなものなのかもしれない。これは豚なのだと、しっかり受け入れた上で食べるという選択をするということは、なにも考えずに食べるという事とは違う。そこに選択した意思が生まれるからだ。

そんな事を考えていると、旅の途中で出会った一人の女の子の事が浮かんだ。片目が白い女の子。左の黒目部分が白かった。白内障だ。初めてすれ違った時、私はとても綺麗だと思った。しかし、声をかけることを躊躇してしまった。すごく心は反応しているのに、なぜか声をかけられなかった。その数日後、またその子と街ですれ違うことがあった。その時、思い切って声をかけた。ドンという名前だった。いつもなら声をかけて、その場で写真を撮らせてもらっていたのだけれど、なぜかその子にカメラを向けることはできずに、とても綺麗だと思う。今度写真を撮らせてねという約束をした。そのあと何度も写真撮りに行こうと思ったけれど、なかなか足は向かずに、結局私はその街を離れた。

あの時、どうして私は写真を撮ることができなかったのか。きっと、彼女の白い目という闇を正面から受け止める決意、覚悟がなかったのだと思う。闇を見つめ、受け入れる。光も、闇も全て受け入れる覚悟。それが正面から撮るということではないだろうか。夢なのか現実なのか曖昧な暗闇の中で不思議な浮遊感を感じていた。いくら撮っても足りなかったなにか。その足りなかったものを私は今見つけたのかもしれない。

明日目が覚めたら、私はドンのいる街へ行く。窓のない部屋。闇は私をあたたかくつつんでいた。もう、恐ろしくはなかった。

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